"COMMENT OF MEMBER"
ゾンビ本庄
Hello! Tabbasaのゾンビだ! みんな元気でやってたかい?
久々にジュデッカを抜け出し、リンボあたりを散歩してたら、なんだかエラいにぎわいようだ。え、なんだって? オレらの子供達がいよいよ現世侵略に旅立つってか?!
そいつぁ、すげえ!!
まわりを見回してみると、知ってる顔、知らない顔といろいろある。
おやおや、ちょっと見ないうちにだーいぶ変わっちまったヤツもいるもんだ。
ヒゲ面、ウスくなったヤツ、ハラの出たヤツ、なんだ、子連れまでいるのか。
へえ、そっちじゃもう二十年も経ってるって、マジかよ?
いや待ってくれ。なんだか、かなり若いヤツらまでいやがるぞ。
オレらの子供達が世に出た時にゃ、まだスペルマにもなってなかった連中じゃないか。
だけど、驚いたなあ。おっさんからガキンチョまで、みーんなメダマがキラキラのワッキワッキじゃねえか!
これじゃ、死体も起き上がっちまわあ。
でもって、もうひとつ、ビックリしたことがあるんだ。
当時、気合いだけは満載、しかして、予算の関係でチープなオトだった子供達が、
まるで生き血でも 啜ったように生き生きしてる。
こりゃいいぜ! まったくいい! 子供達をこんなステキに育てあげてくれたミスター・ヤマダとミスター・キンジョウに、心 から感謝するぜ!!
それじゃな。そのうちまた、おまえたちの夢に遊びに行くから、
それまでせいぜい、生まれ変わった子供達をかわいがっておいてくれ。チャオ!!!
クレイジー仲嶺
祝! Tabbasa 再臨
クレイジーCRAZY・スライムSLIME・ユキYUKI(仲嶺盛之)
「今夜 おまえ等の 夢で待ってるぜぃ!」しかしなんちゅうバンドじゃ!なんちゅうライブじゃ!タバサの発端やメンツの特徴なんかはゾンビが多くを語っていると思うので、当時を勝手にふり返ってみる。メンツ他の三名はいわゆるナイチャー。自分だけが純粋なしまー・うちなーんちゅ(沖縄人)である。中学の頃の沖縄はいわゆるオキナワンロックが唯一のライブパフォーマンスであり、ミュージックライフしか情報源はなく、当然キッス・ジャパン・ベイシティローラーズ・ナック(笑!)などが大好きであった。高校に行き世間がたのきん大流行の中、長髪でメイデンで首を振り、マイケルシェンカーのロングトーンを愛し、ポールスタンレーのエンターティナーにあこがれ、バンヘイレンのヘアースタイルにロングブーツを履き、しかし学生服は普通。という出で立ちで超ロック少年であったのだ。おかげで大学へも二浪してしまい、結果ゾンビとの運命の出会いにつながる。赤い糸はやはりあるのだよ!当時の某大学のロックサークルなんかはもろオキナワンロッカー養成所そのもの。いかにレコードに近づけるかみたいなバンドが全てだった(米兵相手にオリジナル曲は求められていない現状もあった。)。ある意味プロフェッショナルな考えだし話もそれなりになるほどであったのだが、「しょせんコピーでしょ?」高ピーな怖い物知らずな私。けんかしてしまいました。傷心を救ってくれたのがゾンビ本庄であったのだ。やはりロックは反体制であり創造的でなければならん!とかなんとか言いたい放題で飲んでたんだと思う。
タバサの初期の私のギターは、やはりその頃どっぷりはまっていたランディローズ・ジョージリンチを中心としたいわゆるLAメタルの影響がもろ出てるしはっきりいってパクリである。私も若かったということであるしそのころはそれしかできなかった。お許し願いたい。これぞタバサ!を感じたのはやはり「屋根裏の子供達」であろう。今聴いてもあのイントロ!ぞくぞくするじゃん!「鬼」「ダンシングフリークス」なんかできた瞬間「これケミストリーじゃん!」と感慨に浸ったものであった。あの頃がバンドとしては楽曲が完成度が高く、自信を持ってライブしてたんじゃないかな。「有角神舞踏」の頃はゾンビの持ってくる曲にギターをなんとか絡めていくのが非常に快感だったね。「銀胡蝶」なんか今聴いても最高にかっこいいね。
あしゅら坂口
いや〜、すごい事になってしまった!Tabbasaのアナログな音源がCD化されてしまうって聞いて驚いた。タバサ・アーミーの1人として絶対買わなければと思った(笑)。俺は基本的に自分のライブの映像や演奏はあまり見ないし聴かないんだけど、久しぶり(10数年ぶり)に聴いたTabbasaの音は、「なんだこの曲は。すげ〜!!」 ライブの映像を見た感想は「メンバーも客もすげ〜テンション高い!!」 Tabbasaは、とにかくすげ〜バンドだったんだと今さら思ってしまった。
俺がTabbasaに加入して在籍2年間という短い期間だったが、この間のライブの本数や各種イベントの出演等、凄まじい数でとても充実していた期間だった。この宝物ともいえる日々を現在の子供たちにも伝えることができるようになった。これもCD&DVD化してくださった413TRACKSのtetsuさん,staffの皆さんのおかげです。感謝!!
さて、次はいよいよ復活ライブかぁ…!?
キメラ"KAZU"袴田
老後の楽しみとして密かに長年保管してきたTabbasaの音源カセットテープ(ハイポジ!)やライブ映像ビデオテープ(ベター&VHS)といった超アナログ素材達が、まさか20年余りの時を経たこのデジタル全盛の時代に、再びこのような形で世に出回ることになろうとは、夢にも思わなかった。まったく人生とは何が起こるか分からないものである(笑)。
ある日、Tabbasaの当時の音源をCD化したいとの電話をかけてきたレーベルの沖縄担当者(金城氏)は、偶然にも自分が以前よくライブを観に行っていたお気に入りのバンドのリーダーで、またそのレーベルのオーナー兼エンジニア(山田氏)は、当時千葉でバンドをやっていて、貸しレコード屋でたまたま見かけたTabbasaのLPレコードを聴いて魅了され、それからちょうど20年の歳月を経て、その山田氏の発案により今回の企画が実現することとなった。人の縁というのは、なんとも不思議なものである。
自分としても、いつかTabbasaの活動の歴史を一度きちんと整理したいと思っていた矢先だったのに加え、音源のみならず、ライブ映像や、曲にまつわるエピソードまで含めた形で、今回、当時の活動の全容を網羅できたことは、とても良かったと思っている(でもやはり一番は、今回の件をきっかけに、久々にメンバーとコンタクトが取れたことかも)。
ちなみに、自分は学生時代より録音マニアで、我が家のライブラリーには、今でも、当時Tabbasaが出演した幾多のライブの音源からオンエアーの同録テープ、果ては練習室でのリハーサルを収録したテープまで、数多くの記録が大量に保管されている。振り返れば85年〜88年のわずか3年間という短い期間ではあるが、曲作りやリハーサルそしてライブといった通常のBand活動はもとより、デモテープの制作からダビング作業、そして販売活動、手作りのプロフィールを持ってのマスコミ各社への売り込み、テレビやラジオ番組へのゲスト出演、コンテストや各種イベントへの参加等々、それはこれまでで最も刺激的で、且つコスモパワー全開の充実した日々であった。併せて、自分が求める以上の音楽を創り出せるメンバーと出会えたことも、とても幸運であったと思う。自分にとってTabbasaとは、これまでも、そしてこれからも永遠に変わることの無いMy Favorite Bandである。
最後に、今回このような絶好の機会を与えてくださったレーベルの山田氏・金城氏へ御礼を申し上げると共に、当時Tabbasaを応援してくれたファンの皆様、そしてTabbasaの活動に協力してくれた多くの方々にも、この場を借りて、改めて心より感謝申し上げます。
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